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ここには、紀州雑賀にしかない本物の「雑賀孫市と雑賀衆」のグッズがあります。
戦国時代、和歌山という地名はありませんでした。和歌浦と対比して「和歌山」と名づけたのは、天正十三年の豊臣秀吉です。現在の和歌山市のほぼ全域と海南市の一部を戦国の人々は「雑賀」と呼んでいました。紀州雑賀には、雑賀庄、十ヶ郷、宮郷、中郷、南郷の五組からなる人々が代表者を出し協議して「雑賀」を運営していました。これが雑賀五組です。
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雑 賀 デ ー タ
【雑賀庄】 永禄五年(一五六二)の湯河直春起請文から、本郷・宇治・湊・市場(六日市)・三日市・中嶋・土橋・福嶋・狐嶋・梶取・岡などの地域だと推定される。雑賀五組図参照。 【雑賀本郷】 明徳三年(一三九二)の「廊ノ三郎近秀旦那売券」に記載されている「サイカノサト」は、「雑賀」あるいは「本郷」と呼ばれた、雑賀本郷である。雑賀本郷とは、雑賀庄内の一つの郷であり、雑賀庄全体の鎮守である矢ノ宮を村の産土神とする関戸、西浜、宇須、塩屋、小雑賀の五村に、和歌浦を加えた雑賀庄南部の地域である。 【雑賀五組】 雑賀五組とは、近隣の村々が連合した地縁的共同体であり、現在の和歌山市から海南市北部にかけての地域が五つの郷(雑賀庄・十ヶ郷・宮郷・中郷・南郷)に分かれ、雑賀五組として自治が行われ、紀州における「惣国」を形成していた。
⇒雑賀五組境界図、永禄五年の雑賀衆参照。【立荘年・初見年】 雑賀荘の成立は平安末期と思われるが、詳細は不明。
初見は建久7年(1196)3月の高野山住僧等解。【荘園領主】 12世紀終盤は平宗親、15世紀半ばは常住院。 【史料集】 『和歌山市史』第4巻、『大日本史料』11-14.15 【雑賀庄概観】 戦国時代に鉄砲集団として活躍した、雑賀衆の本拠地として著名。その勇猛さは、日本に渡来したイエズス会宣教師の報告書に「その戦場における武勇によって、日本に大名を得た」と紹介されているほどである。 【雑賀衆】 門徒・非門徒に関係なく雑賀五組と呼ばれる五つの郷(雑賀庄・十ヶ郷・宮郷・中郷・南郷)を基礎にし、惣村さらに惣郷・惣荘単位に一揆を結んだ地縁集団である。 【雑賀一向衆】 鷺森御坊を中心に結束した本願寺門徒集団である雑賀一向衆は、道場を単位とし、五つの本末関係(性応寺末、真光寺末、浄光寺末、直末、方はつれ)を軸に、五組を横断して構成されている。雑賀衆と比べて組織の構成原理が全く異なっている。 【雑賀一向衆
に関する研究】雑賀門徒衆に関する研究は、武内善信「雑賀一向衆列名史料について」(『本願寺史料研究所報』二十五号(本願寺史料研究所、二〇〇〇年)、同氏「天正三年の雑賀年寄衆関係史料」(『本願寺史料研究所報』二十七号(本願寺史料研究所、二〇〇二年)の中で、史料の紹介を通して詳しく考察されている。 【鉄砲よき衆】 海外との交流が盛んであったためか、雑賀衆は鉄砲という新兵器に着目するのも早かった。織田信長が少年時代から鉄砲に打ち込んでいたことは有名だが、同じ頃の雑賀では、もっと年下の子供まで鉄砲の稽古をしていた。本願寺からの書状に「鉄砲よき衆五百丁」といった贅沢な注文が付くこともあったが、それほど優秀な射手がプールされていた。鉄砲を集団的、効率的に利用する戦法なども他に先駆けて開発されていた。
雑賀五組境界図
広域「雑賀五組境界図」は、こちら
16世紀頃の戦国時代〜紀伊半島の勢力配置
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